菊亭候碑

芽生神社境内は2,223坪の広さがあり、その昔、菊亭脩季候の土地を譲り受け、鎮守の杜として定め永く守られてきています。原始以来の古木や植樹の木で地域唯一の杜であり、由緒ある記念碑、記念物の多くを有しています。

記念碑のなかでも菊亭候碑は芽生開拓の礎となった菊亭候を偲び称える石碑です。明治43年11月建立され、その後昭和38年一部改修、更に昭和58年、90周年を記念して築山などが修復されています。石碑上部の篆額(てんがく)の揮毫者は、当時の内閣総理大臣・西園寺公望です。そうして一層文化的価値を高めているのは、碑文の文字です。執筆者は明治の近代書道の確立者・日下部鳴鶴(本名・日下部東作)です。

これほどの文化的価値がある石碑は北海道にはないであろうと思われます。


菊亭 脩季

■菊亭 脩季(きくてい ゆきすえ)
明治時代の華族。 明治22年伯父三条実美(さねとみ)らと北海道雨竜原野に5万haの土地貸し下げをうけ,雨竜華族農場を組織したが,24年解散,分割。26年深川村メム(深川市)に5756haの菊亭農場をひらく。32年耕地をすべて小作人に分譲した。侯爵。貴族院議員。明治38年死去。49歳。京都出身。


日下部鳴鶴

■日下部鳴鶴(くさかべ めいかく)
近代書道の確立者の一人で、中国、特に六朝書の影響を受けた力強い筆跡が特徴でありそれまでの和様から唐様に日本の書法の基準を作り変えた。加えて数多くの弟子を育成、現在でも彼の流派を受け継ぐ書道家は極めて多い。芸術家としても教育者としても多大な功績をあげたことを称えて「日本近代書道の父」と評されることもある。

芽生神社社務所には菊亭候碑の拓本を飾っています。


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菊亭候記念碑